チャットGPTと作曲の関係性について(音楽を愛する重要性)

今日の話題は、昨今、各方面で物議を醸しているチャットGPTと作曲、そして音楽との関係についてです。

本題に入る前に、まずAIと音楽の歴史的関係をおさらいしましょう。

AIと音楽の歴史は古く、2000年代初頭には既にコンピュータに和声を学習させ、自動作曲させる研究がほぼ完成していました。当時、学生だった私もAIに和声を学習させる学際的研究のアルバイトをしていたことがあります。

例えば、身近なところでは、皆さんもロボットの自動演奏を見たことがあると思いますし、電子ピアノが奏でる自動演奏もそうです。

では生成AIのひとつであるチャットGPTはどうかというと、前述の通り突如現れたものではなく、広義のAI研究の積み重ねの上にあります。したがって音楽とAIの歴史は意外と長いんです。

(出典:ChatGPT Plus/OpenAI)

さて、では本題に入りましょう。

ここ最近、私はチャットGPTにより作曲された曲をいくつか聴きました。
あるものはチャットGPTが生成したままのもの。あるものはそれに人の手を少し加えたもの。
また、あるものはチャットGPTが作曲したとは事前に知らされずに、聴かされました。

どの曲も一聴した時には驚きました。
何に驚いたかと言うと、その曲に対する作者の「愛の痕跡、あるいは残痕の薄さ」にです。

どういうことか、具体的に書いてみようと思います。

私が聴いたチャットGPTが生成した音楽は、実に「それらしく」というか「もっともらしく」作られていました。

少し言い方を変えると「白々しい」音楽でした。

さらに言えば、ただフラフラしてる音楽。
つまり、訴えたいポイントが曖昧で、なおかつ人の手の温もり、すなわち愛を込めた残痕が見られませんでした。

残痕とは損傷の形跡。愛に損傷はつきものです。つまり愛には損傷という間違いがある。さらに愛は人と人が抱きしめ合う、手を握る。
だから愛の残痕が見られる仕事は面白いと僕は思います。

だけど、チャットGPTにより作られた音楽は、あまり間違わない。損傷が少ないんです。
したがって、生成AIによる音楽は、少なくとも私の手は握ってくれませんでした。
(ちなみに最後に書きますが、私は生成AIを批判したり危険性を感じてはいません。それどころか、より強力な生成AIの登場が楽しみで仕方ないです)

手を握ると言えば、医療も連想します。

私たちが運営する東京都練馬区の美ゞ(びび)音楽教室に通う生徒さん(本業は医師)の作曲レッスンでチャットGPTの話題が出ました。

その生徒さん曰く、「患者さんの鑑別診断でチャットGPTが使われ始めたら、医者も困っちゃいますね」と。
「でも、いくら優れたAIが今後登場しても、結局、患者の手は握ってくれませんからね」
私がそう言うと、作曲のお稽古中の生徒さんは苦笑いしていました。

確かに、現代の西洋医学で医師が患者の手を握ることはまずありませんが、中医学では今でも脈診は当たり前です。つまり肌と肌が触れ合うんですね。

肌と肌が触れ合うのは、紛れもなく心と心の触れ合いであり、愛にまつわるものです。
音楽も、殊に作曲も作者の心の音と、聴衆の心との触れ合いであり、やはり愛にまつわるものです。
つまり、音楽も愛の営みだと私は思います。

それにしても、面白い時代に私は作曲や和声レッスンし、さらにこの東京でピアノレッスンをしていると思います。
そして、もっと強力なAIが登場するのが楽しみです。なぜならAIが強力であればあるほど、僕らは音楽の本質、音楽と愛の問題を考え深めることができるからです。

音楽を愛してください。
作曲や和声が紡ぎ出す音を愛してください。
ピアノ演奏の一音一音を愛してください。

それらは、まさしく人を愛することと同じ問題だから。(2023年5月30日・宮川慎一郎)

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