作曲に下書きは必要か?
皆さんも小さい頃、絵を描いたり、作文をするときに下書きをした経験があると思います。いきなり清書してはダメだと言われた経験もあるのではないでしょうか。
では作曲は、下書きが必要でしょうか?
下書きのことを考えるにあたって、対比として出すと分かりやすいのは「推敲」という行為です。
「下書き」は、メモ書き、絵画でいう素描(エスキース)、そのような性質のものであるのに対し、「推敲」は一度形作ったものに手を加え磨き上げていくことです。
これを踏まえて考えると、作曲では「下書きも、推敲も両方が必要」と言えます。
ただ、そうはいっても、下書きの量も、推敲にかける時間も、実は作曲家のタイプによってかなり異なります。
たとえばモーツァルト。彼の場合、現存する資料では、ほとんど下書きが残されていません。 一方で、ベートーヴェンという人。彼は膨大な量の下書きが残されていて、自筆譜には推敲されたあとも多く見られます。
作曲における下書きは、言わば頭の整理整頓と考えられます。絵画でいえば、素描を重ねることで描写対象への感性を研ぎ澄ませていくことに似ています。
一方の推敲は、一つ一つの曲に対する、こだわり(ときに脅迫的なこだわり)にその根っこがあると考えられます。これは角度を変えると、推敲を諦めたときが、作品が完成するときだとも言えます。
私の場合は、下書きを重ねることで、イメージが整理整頓されますし、推敲は作品の精度を高めます。
しかし、それらをしすぎると、かえって訳が分からなくなることも多々あります。これは、鏡に向かって自分で前髪を切っていると、途中で何が何だか分からなくなる、あの感じに非常に近い感覚です。
下書きも推敲も大切ですが、それを仕上げる良いテンポ感も大事だといえそうです。
(宮川慎一郎)