本物だけを習いたい生徒さんのお話
私が受け持った生徒さんに、本物の音楽だけを習いたい、そういう方がいました。(プライバシーの観点から、実際の生徒さんとは若干異なる人物設定をしています)
彼女は幼少期に数年間ピアノを習った経験があって、今は仕事のかたわらクラシック音楽を聴くのが好き、自分でもああいう曲を作ってみたい、そんな経緯で私のところにやってきました。
最初の方のレッスンで彼女が強調していたのは、「本物だけを習いたい」ということ。
詳しく聞くと、その方の仕事はかなりハードなもので、音楽に割ける時間は少なく、そのため限られた時間を無駄にしたくない、そういうことでした。そして、これが意外だったんですが、「作曲をするために、私はまず和声から習いたい」ということを言っていました。
彼女の仕事が忙しい様子は、話の素振りから容易に想像できたので、私もどうにか効率的に作曲できるすべはないかと思い巡らしました。
そして、本人の希望なら和声から入るのも悪くない、とも思いました。ただ、和声を一通り仕上げるほど時間が取れるとは思えず、さて、どうしたものかと考えていました。(ちなみに和声にはある程度のソルフェージュ能力とピアノが必要で、その上、一つの課題を解くのに最初は2時間くらいかかります)
もし和声からスタートして一通りこなし、それから作曲に入ると2年や3年、もしかすると4年ぐらいかかってしまうことは目に見えていました。とすれば、それは生徒さんの時間を無駄に奪ってしまうことになるのではないか。
それなら和声は横に置いておいて、曲作りを開始させよう。私はこれが本物だと思ったのです。
そのためには、まず和声は作曲ではないということを彼女に理解してもらう必要がありました。そして和声は訓練であり、それも初級和声は限られた身動きしかできない、それも伝えなければならないと思ったのです。
そこで次のレッスンで和声について一通り説明し、私は生徒さんに切り出しました。
「和声よりも、自由に作曲を初めてみませんか?」
案の定、生徒さんの口は固く結ばれたままでした。
多くの生徒さんは、作曲の教師が「和声なんかやらなくて良いですよ」というと、自分のことをしっかり考えてくれてないんじゃないか?とか、この先生は本当に信頼できるのか?と思うものです。それだけ島岡和声が植えつけた和声信奉は根強いのです。(島岡和声を批判するものではありません)
しかし私自身もアカデミズムの人間で和声を一通り習ってきたので、和声の重要性も奥深さも、そして重要性を知ったから見えてくる不要性も、よく理解していました。
そこで、彼女にこう提案しました。
「和声も作曲も同時並行でやりましょう。その代わり一つ条件があります。」
「作曲をするときには、和声で習っていることを一切忘れてください。和声の勉強には初めは数種類くらいの和音しか出てきませんが、この範囲でやっていたら、あなたが思い描いているクラシック音楽とは随分かけ離れたものになってしまいます。」
すると、「はい、ではぜひそのようにさせてください!」と納得した表情で返事が帰ってきました。
私もレッスンの方向性が決まってよかった、そう思っていたら、「ところで先生、和声はこの本と、この本と、この本で合ってますか!?」・・・すでに彼女は赤と黄色と緑の和声本(いわゆる旧芸大和声)を三冊とも購入していたのです。
これには私も内心驚きました。しかし、それだけ積極的に学びたい気持ちがあることに感心しました。
こういったタイプの生徒さんは気が早く、空回りしてしまうことも少なくないのですが、積極性があるので習得が早いのです。
そしてその日は和声の最初の方の解説をし、4小節くらいのメロディを作ることを課題にしてレッスンを締めくくりました。
その後、彼女はなんと1年間で黄色い本まで仕上げたのです。そして作曲もユニークなピアノ曲を書いています。
これからの成長が楽しみです。
(宮川慎一郎)