本日は、東京音楽大学 作曲「ミュージック・メディアコース」に合格された西村碧桜(にしむら みお)さん、碧桜さんのお母様に、
碧桜さんと音楽との関わりの歴史や、受験対策・合格までのお話を伺いたいと思います。
インタビュアー:宮川慎一郎
編集:宮川真唯子
ー碧桜さんの、一番最初の音楽との出会いはいつでしたか?
(碧桜)生まれる前?
(母)胎教…というほどでもないんですが、お腹の中にもいてもわかっていると聞いていたので、よく歌ったりなんかはしていました。
生まれてからも、童謡の”おもちゃのチャチャチャ”が本当に好きで、それを聴くと泣き止むような子でした。
(碧桜)素直だね(笑)
ー習い事としては、どんな教室に通っていましたか?
(碧桜)年中の春から、ヤマハに通い始めました。
最初はグループレッスンでエレクトーンだけ、小3からはグループと個人で本格的にピアノも始めました。
ーエレクトーンとピアノ、どちらが好きでしたか?
(碧桜)どちらかと言われれば、エレクトーンです。特に毎年一回、システム発表会というものがあって、それが一番好きでした。
ーでは、アンサンブルが好きだった?
(碧桜)そうですね。いろんな音色やいろんなパートを1曲の中で表現できる、というのが楽しかったです。
ーその頃、将来の夢はすでに音楽の道でしたか?
(碧桜)いいえ、その頃はまだ練習にも真面目ではなくて(笑)
でも、小学生の時には、ピアニストやシンガーソングライターになりたいと言っていたようです。
ーお母様から見て、小さい頃の碧桜さんはどんなお子さんでしたか?
(母)年少さんの時、幼稚園の先生に、「碧桜ちゃんは耳が良いから、音楽をやったら良いんじゃないかしら」と勧められたことがありました。
それで、色々な方の話を聞いて、結局ヤマハに通い始めました。
ー碧桜さんは、絶対音感がありますね。どうやって身につけたか覚えていますか?
(碧桜)ヤマハにいたときに、遊びみたいに音あてをしていた記憶があって、絶対音感とは知らずに教わっていたかもしれないです。
年長さんの時に、演劇で『桃太郎』をやって、「桃太郎の曲を弾いて」と言われたのを楽譜なしで弾いていたので、その頃には絶対音感は出来ていたのかな?
ーでは、音楽を習い始めて1年くらいでついたのかな。絶対音感があると、ソルフェージュなどでは有利ですよね?
(碧桜)そうですね。音大受験勉強の時は、ソルフェージュは休憩時間というか、遊びのような感覚でやっていました。
練習したという感じは、ほとんど無いです。
ー小学生の頃から作曲していたそうですね。小学6年生の時に書いたロンドを見せてもらったことがありますが、抜群によく出来ていました。その頃から作曲は好きでしたか?
(碧桜)いえ、その頃は、みんなが発表会に出るから私も、ということで作曲をするのは、あまり好きではなかったです。ピアノ曲を作るにしても、まだ演奏できる曲のレパートリーもあまり無いから、ネタがないというか…。
でもその頃から、テレビなどで聴いた曲を耳コピしたりして、お母さんによくうるさいって怒られたりして。
(母)違うよ、「今一生懸命練習しているんだから、お母さんテレビ消して!」って私が怒られてたの!
(一同笑い)
(碧桜)そうだったっけ?(笑)でも、そんなことをしているうちに、少しずつ、主にポピュラーな曲のことを好きになって、それで覚えたことを使って作曲することは、徐々に楽しくなっていきました。
ー高校時代は、音楽科のある高校の受験は考えませんでしたか?
(碧桜)中3になってから、公立高校の音楽科の受験を考えたことはあったんですが、受験しようとした高校が学区外で、なんとなく普通科を選びました。
あと、一番好きなことを仕事にするのは苦しいだろうと、音楽は趣味にしようと思っていたんです。
ーでは普通科の高校時代、どんな学生生活を送りましたか?
(碧桜)高1、高2は合唱部の活動にどっぷり浸かっていました。元々、説明会で聴いた合唱部の演奏に惹かれてその高校を受験したので、そのまま夢中で、テスト勉強なんかもそっちのけでやっていました。
混声合唱、すごく楽しかったんですよね。
ー音大受験対策を始める前は、哲学専攻を目指して勉強していたと聞きました。とても興味深い経歴だと思いますが、どのようなきっかけで哲学に興味を持ちましたか?
(碧桜)高2の1月くらいでしたか。合唱部のインストラクターの方が哲学専攻の出身で、話を聞く機会があって、面白い世界だなと思ったんです。
それから、高3の時の担任の先生も哲学専攻で、その担任の先生とのやり取りで、しっかり哲学を志す意志が固まりました。
ーそれが受験5ヶ月前になり、作曲に転向するという大決断をしてこの教室にいらっしゃいましたね。哲学から作曲に転向するきっかけは何でしたか?
(碧桜)私自身、哲学から作曲に切り替えたという感覚はあまりないんです。
元々、哲学を中心にして世界を知りたい、人間的に成長したいというのは変わっていなくて、
そういう軸は自分の中にあって、その大きな幹から伸びた一つの枝として、好きな作曲の道があるのかもしれません。
ー碧桜さんが音大受験をすることになったとき、おどろいたりしませんでしたか?
(母)私は…碧桜のピアノが大好きなんです。だから、「そっか、決めてくれたんだ」と、嬉しかったです。
ー異例の5ヶ月間という短期間で受験勉強をすることに決まりました。その時の気持ちは?
(碧桜)はじめは1年半後の受験を目標としよう、つまり二浪しようと考えていたんです。ですが、高校時代の合唱部のインストラクターさんに相談したら、まずは5ヶ月後の受験を目標にして受けてみなよ、と。
それで、決めた、行こう!と思って、正直和声が何かも知らないまま、塾も辞めて音楽教室を探しました。
音大に行ける道が開けた!やったー!みたいな感じで突っ走ったら合格したという感じでした。
ーこの教室で体験レッスンを受けた時の印象はどうでしたか?
(碧桜)ものすごく受け入れてくれる、あったかい、という感じでした。居心地が良い、優しそうな教室だなと思いました。
ー他にもたくさん教室があるけれど?
(碧桜)作曲専攻の全部の受験科目を1つの教室で出来るというのはあまり無かったのと、1回いくらというレッスンではない(月謝制だった)ので負担が少ないというのも、選んだ理由です。
ー和声や作曲、ピアノ、ソルフェージュ、伴奏付けのレッスンをこの教室で全て行いましたね。その中で、何が一番大変でしたか?
(碧桜)和声です。「わ」の字も知らないところからでしたので、多い時には1回のレッスンで3時間くらい添削していただいたりして…。
ー和声はどのように勉強していきましたか?
(碧桜)経験として知っている知識を棚に整理していく感じで勉強しました。しかし、禁則というものがあることを今まで知らなかったので、そこは苦労しました。
ー当時、お母様からみてご自宅での様子はどうでしたか?
(母)一般大学の受験の時には泣きながらやっていたけれど、音大受験に切り替えてからは、すっごく大変だけどすっごく楽しいということがみてとれていたので、放っておけばいいかなという感じがしました。
勉強しながらもピアノを弾いて、「ここの和音が、こう変わるのがいいんだよ!」なんて教えてくれたりして。
それまでの大変さをみていたので、これでよかったんだなと思いました。
ーこの教室で受験コースのレッスンを受けて、音楽の聴き方や関わり方は変わりましたか?
(碧桜)ピアノレッスンの時に、最初の頃いろいろな有名な曲の冒頭部分だけの楽譜をたくさん渡されて弾いたんですが、その経験が大きかったなと。
つい狭く深く音楽を聴いてしまっていたのですが、その経験を通して、最近は広く知ることが楽しくなってきました。
ー受験では、制限時間内に解答する科目(和声や聴音)もありましたね。受験勉強や、受験当日はどんなことに気をつけましたか?
(碧桜)普段から、1時間で解く和声1題を30分で解けるようにしていて、当日も見直しにすごく時間をかけました。
そして、禁則によるバツはつかないように気をつけました。
ー東京音大では、どんな学びをしたいですか?
(碧桜)みんな寝る間を惜しんで勉強していると聞いていますので、しっかり食らい付いていきたいです。
劇伴だけでなくJ-POPにも興味がありますし、コンペにも挑戦したいです。
ー今、音大受験を目指す高校生に伝えたいメッセージは?
(碧桜)受験勉強って、楽しいだけでは乗り切れず、苦しんだり悩んだりする部分もきっとあると思います。そういう時こそ、音楽を好きになったきっかけの曲や出来事を聴いたり思い出したり、行きたい大学に通って音楽を楽しんでいる未来の自分を想像してみると、辛い時期を乗り切れるかもしれません。
大変なことも多いとは思いますが、応援しています!
ーお母様から、受験を目指すお子さんや親御さんへのアドバイスは?
(母)私は、自分が教員をしているので思うのかもしれないですが、自分が行きたい大学ではなく、自分が行ける大学に行ってしまう子も少なからずいるように感じます。
でも大学は、自分がやりたいことを探す、勉強する、研究する場所だと思っています。
ですから、自分の子供が決めたことなら、応援したいですね。
ー本日は、ありがとうございました。