ワルトシュタインのグリッサンド

ベートーヴェンのピアノソナタの21番、ワルトシュタインの三楽章。ここに連続オクターヴのグリッサンドが出てきます。

それが動く音域はおおむね8度。プレスティッシモで、指はすべて1と5と指定され、しかも「pp」となっています。(譜例)

ワルトシュタインのグリッサンド

ここはピアニストにとって頭を悩ませる箇所で、人によって両手で一音一音を音階のように弾いたり、人によって書いてある通りグリッサンドしたりしています。

ご想像していただけると分かる通り、片方の手をずっとオクターヴの形に保ったまま、鍵盤に沿って「pp」で動かすのは至難の技です。

なぜ、このような不可能に近いことを、ベートーヴェンは書いたのでしょう?

 

作曲家は、演奏家に対して、こういう挑発行為をすることがしばしばあります。これは演奏と作曲が分業されて以来の特徴です。

問題のこの箇所は、おそらくベートーヴェンの中でオーケストラ(フルートやピッコロ)が鳴っていたにせよ、他の書き方はいくらでもあったはずで、これは演奏家に対する明らかな挑戦状だと思うのです。

 

そもそも優れた演奏家は、既存のレパートリーに物足りなさを感じることがあります。

語弊を招くといけないので、正確に言いますと、優れた演奏家は既存の曲が要求するテクニックと、その効果に対し、自分の音楽性がはるかに優っているため、一種の物足りなさを感じることがあるのです。

そこで作曲家は、演奏家が予期しないことを書きたい気持ちになります。そして、そういったことをすることで、思いもよらない表現の拡張を期待しているのです。

これはモーツァルトの『魔笛』の「夜の女王のアリア」のhight Fや、現代なら演劇の岡田利規さんの戯曲(2〜3ページに及んで一人の役者が丸暗記するセリフ)に通じるものがあります。

ワルトシュタインのパッセージをどう弾くかという具体的なことは、私ははっきりと明言できませんが、少なくとも一つだけ言えることがあります。

それは作曲家の想定外のことをして欲しいということです。

作曲家は想定内の演奏には、これまた物足りなさを感じるものです。

(宮川慎一郎)