芸術って一体なに?

モーツァルトのレクイエムを聴いているとき、ベルリオーズの幻想交響曲を聴いているとき、ゴッホの晩年の鮮やかな色彩の厚塗りの絵を見ているとき、あるいはトゥーランガリラシンフォニーや春祭を聴いているとき、あのとき感じるゾワっとする感じ、あれは何なのでしょうか?

確かに人によって感じ方は違います。ピカソにゾクッとする人もいるでしょうし、シューマンにゾクッとする人もいるはずです。

ただ、ゾクっがゾワっでもいいですし、ゾワっがウワっでもいいですし、ウワっがウワーン(号泣)でもいいのですが、とにかく心が強く揺すぶられる時がどんな方にもおそらくある。そして、そのような芸術があるということです。

この芸術の正体は一体何なのでしょうか?

 

これはあくまで作曲家が論じる主観的な芸術論であって、音楽学者が論じる芸術論ではないことをお断りした上で申し上げると、その正体らしきものを私は狂気ではないかと感じています。

つまり正気ではない状態、常軌を逸した状態、これが芸術の正体ではないかと思うのです。

だからゾクッとするし、その狂気が(逆説的ですが)けな気にもこの地上に存在していたことに、ウワーン(泣)となるのです。

よく生きていてくれた、生きていてくれて、作品を残してくれてありがとう、そのような感覚です。作品を通してその作り手である他者を感じるのです。

私たちはそうしたとき、他者の生きる姿に照らし合わせ、まさに自分が自分らしく生きる意味を見出しています。そこに感動という体験があるのです。

 

狂気というと何か特別なもののように感じますが、実は、それはどこにでもあるものです。

例えば、恋をしているとき。あれも一種の狂気です。だから恋から歌が生まれるのです。

夢や臨死体験、そして人の生死に直面したとき。これも狂気の状態です。これらは人に異界や地獄、天国を見せ、奇想の、あるいは神話的、あるいは宗教的芸術を生みます。

あるいはアルコールや幻覚剤、あるいは双極性障害や統合失調症。これらももちろん狂気で、異常な興奮や不安、幻覚や妄想や自己破壊は、デカダンスや衝動表現との繋がりが深そうです。

いずれにしても狂気というのは、現実検討能力が著しく低下し、目の前で起きていることを客観的に認識できない状態です。

そこに芸術の正体がありそうだと思うのです。

そして、現実と、その連続体である日常から逸脱した状態を作り上げるために、創作はなされるべきだと思っています。

 

ちなみに、アファナシエフが語る芸術論でユニークなのは、至高の芸術はメランコリーであるという主張です。

これは彼のピアノを聴くと納得のいくところですが、しかし一般的には受け入れがたいものもありそうです。

 

最後にもう一つ、芸術の嫌うもの。

これは明言できます。

退屈です。

飽き飽きする、つまらない、早く終わって欲しい。こういったものを芸術は一番嫌います。

 

(宮川慎一郎)

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